スタッフの想い

マダムテルコ30周年を迎えての想い【その1】

私が、マダムテルコサロンに出会った
きっかけは、本当にひょんなことから
だったのですが、それはまた
別の機会にお伝えするとして。。。

実はご紹介しているマダムテルコ
サロンは、大変歴史があるサロンで
30周年を迎えました。

今日は、30周年を迎えての
社長の想いや、スタッフさんの
想い、脳内ヒーリングへの
意気込みなどをご紹介します。

マダムテルコの社長は何故エステティシャンになったのか?

エステティックマダムテルコの社長、
松吉照子社長は、なんと、もともと
南海電鉄の観光バスガイドを
10年しておられたそうです。

社長は、ご自身が27歳の時に、新聞の
折り込み広告に、〇〇エステティック
OPENと書かれていたのを発見。

そこには何故か行きたいと思った社長は
体験に行かれました。

「当時、女性の就職って29歳まで
だったんです。

30歳になると、もう女の人の職場が
無いんです。

私も29歳を過ぎて、転職するんだったら
エステティシャンになろうと思いました」

と社長。

今では、そんなことは考えられませんが
昔の女性は、だいたいが20代で結婚し
そのまま専業主婦になる方が多く
生涯を通して仕事に生きるという女性は
少なかったようですね。

バスガイドを辞めて、新たな道である
エステティシャンとしての道を歩み始める
ことになった松吉社長。

最初に就職したサロンでエステティックを
学び、その後結果の出せるサロンに
転職したそうです。

しかし、人に使われることが難しいと
思った社長は、小さなお店を一人で
やろうと思って、平成元年の7月に
堺駅前店をOPENしたのが最初の
サロンです。

このころから、既に社長としてエステ
ティックサロンを経営するための
階段を一歩一歩登っておられたのですね。

いよいよ社長として独立したものの・・・

ジュリアオーゼ・ナンカイというお店で、
15坪のお店をOPENさせた社長。

しかし、1台のベッドだけでは広すぎて、
やむなくベッドを2台追加して急いで
スタッフさんを2人募集をかけたそうです。

「最初は本当にお客様も無くて
無我夢中で、いつでも1年365日
お客様が予約をくだされば行きました。」

マダムテルコは、現在では大変人気のある
サロンで、予約が取れない日もありますが
OPENしたては、まだまだエステは
人々の生活に浸透しておらずエステを
ご存じ無い方が大半だったのでは
ないでしょうか。

そんな中、なかなかお客様も来店されず
集客に悩んでいた社長に一筋の光が!

「平成4年に九州博多から営業の方が
ドアノックをされて、「素晴らしい
パックがあるので試してみて
もらえませんか?」とおっしゃられ、
株式会社美研という会社のイチオシ
商品だということでした。

その営業の方が「うちの社長と専務に
会って欲しい」というので、
新幹線を乗り継いで久留米に行きました。」

このご縁が、松吉社長の集客方法を
変えるきっかけとなりました。

「その会社がされていた営業方法が、
電話でアポを取って集客をするという
集客方法でした。

大変な広告費のかかるやり方から、
電話アポをするという方向に変わり、
平成5年に堺東というところに
お店を移しました。

それで、平成7年に本格的に
テレアポルームを作りながら、
本格的なサロンを作ろうと
いうことで、難波に来ました。」

モナコのスパのようなエステサロンを作りたかった

堺から難波へ。
松吉社長の快進撃は続きます。

海外研修にも、年に1~2回、
スタッフたちと行かれたそう。
いいな~羨ましい!!

そこで、モナコ国営のスパに行き
体験した社長とスタッフさん。

その体験が素晴らしく良かったので、
モナコみたいなスパを作りたいと
思ったときに、難波の一栄ビルの
3階に、200坪のフロアが
空いていて、そこに移転した
そうです。

新サロンは、平成10年に
OPENしました。

マダムテルコの経営理念である、

「笑顔をあなたと」
「ぬくもりをあなたと」
「やすらぎをあなたと」

は、このスタッフたちから生まれました。

しかし、不況と身体の不調により、
移転を余儀なくされたのです・・・

「一栄ビルに移ったのが平成10年
なんですけど、その頃バブルが崩壊して
私はリウマチと診断されて。

そのような環境で300万円もの
家賃を毎月払い続けるのが難しく
なったというのが本当のところです。」

今のサロンと違って、かつてのサロンは
200坪もあったわけですから、
スタッフさんの数も非常に多かったと
聞きます。

私個人的には、大型のサロンには
メリットもあるが、デメリットも多いと
思うのです。

もちろん、大きなサロンでも
お客様が喜ぶサロンであったとは
思いますが、規模を小さくなさった
ことで、お客様とスタッフの距離は
縮まりますし、より「美のパートナー」
として信頼のおける関係になったのでは
ないでしょうか?

そんな松吉社長の次なる展開はどう
なっていくのでしょうか?

次回記事をお楽しみに!!

⇒マダムテルコ30周年を迎えての想い【その2】を読む